ある日、はじめて足を踏み入れた渋谷のオーガニックカフェ(今はもうない思い出の『daylight kitchen』)、思い返せばそれが全てのスタートだったような気がします。
その時から10年以上の歳月を経て今。
はじめまして。
「つながる菜園プロジェクト」の発起人、リーダーで菜園コミュニケーターの佐々木桐子です。
渋谷区の初台生まれ、初台育ち、そして今もなおササハタハツエリア在住です。子供たちはササハタハツエリアの小学校にお世話になり、なんと親子3代に渡って同じ小学校出身です。初台から笹塚にかけての緑道は子供の頃から何度も往復した慣れ親しんだ場所、育ててもらった大好きなササハタハツエリアが歴史ある古き良き街並みや文化を残しつつもこれからさらに新しく美しく生まれ変わろうとしている今、移り変わりの経過を間近で見られることにワクワクしています!
小さな子供からお年寄りまで多世代が毎日を楽しく、住んでいて嬉しくなるようなそんな街になるのが楽しみです。
「つながる菜園プロジェクト」は1人で構想しだしてからかれこれ10年以上、本格的に動き出してから6年ほど、全ての子供たちに平等な場所づくりとして学校内に菜園を導入し、授業の教材として、またみんなで栽培し収穫した作物を一緒にテーブルを囲んで食べることを目標にしています。さらに地域に開かれた学校(コミュニティスクール)として、地域の人や企業、お店など地域に関わるさまざまな背景や年代の方々が菜園に関わることによって生まれる多世代間の交流の場として、地域をつなぐ役割になったら良いなという思いで、ササハタハツまちラボが立ち上げた、ササハタハツ地域のまちづくりプロジェクト支援事業「ササハピ」へ応募しました。晴れて2020年10月にササハピの認定のプロジェクトとしていただき、現在活動を本格的に進めているところです。
その間、1人プロジェクトから上記のような想いに賛同してくれてプロジェクトの仲間になってくれた特異な(失礼!)メンバーもできました。
そして最初に「こんなことを渋谷区の学校でやりたいな」と、まだ妄想段階のつぶやきを拾ってくれてずっと親身に話に耳を傾け続けてくれた現まちラボのスタッフ、地元の企業さん、区議さん、大学の先生。心が折れず続けてこられたのは、これらの方々の存在が大きかったと思います。
どこを切り取っても一つ一つが今につながる無駄のないことだったように思うのですが、それをじっくりと振り返ることによってプロジェクトが、また私自身がこの先の展望を考え次のステップへ進む足掛かりにもできたら良いなと思っています。
食べたもので体は作られる感動と責任、それが”食”への興味の入口でした
今から14年前、現在は中学3年生の上の息子を出産後、自分が食べたものが子供の体にダイレクトで関わっていることをはじめて実感し、食べること、そして何を食べるのかが大切なんだと、とても興味を持つようになりました。
仕事に復職前の育休中は本を見ながら体に優しい料理やおやつを作って試してみたり、通信教育でマクロビオティックや薬膳を学んでみたりと、今までで一番「食」に向き合った時間でした。その時のインプットは今でもずっと役に立っています。
下の娘が産まれた後、いろいろと我慢させてしまい赤ちゃん返りしてしまった2歳の息子と何か2人で一緒にやろうと思い立って、その時たまたま見つけた冒頭のオーガニックカフェ『daylight kitchen』のワークショップに2人で参加しました。
塩麹作り、酵素ジュース作り、お味噌作り、ローカカオ(砂糖を使わずドライフルーツや木の実、カカオパウダーだけで作るチョコレートボールのようなおやつ)作り、といろいろ参加させてもらい、発酵食品の素晴らしさに改めて感動して学んでは家でも作り楽しんでいました。
そのカフェのオーナーで今も友人の塚本サイコさんとは同じくらいの歳の子供を持つママ同士ということもあり、ワークショップに通ううちに、”食”に対する『daylight kitchen』の考え方にとても共感し、すぐに仲良くなりました。
当時カフェで開催されていた「アリスに学ぶ会」という勉強会でエディブル・スクールヤードやアリス・ウォータースさんの存在を初めて知りました。それが今の活動を始めるきっかけでした。
エディブル・スクールヤードとの出会い、農業での体験から膨らんだ「つながる菜園」構想
エディブル・スクールヤード(食育菜園)とは、1994年にアメリカのカリフォルニア州バークレー市にある公立中学校、マーティン・ルーサー・キングJr.中学校で始まったプロジェクトです。当時荒廃した学校を変えるために、先生、生徒、保護者が学校に「食べられる校庭」をつくろうという一つの目標に向かい、大きな成果をあげました。菜園づくりと収穫した作物を使っての料理づくり、そして皆で食卓を囲む、というガーデンとキッチンの授業なのです。
アリス・ウォータースは、1971年カリフォルニア州バークレーに開店した世界的に知られるレストラン『シェ・パニーズ』のオーナーシェフであり、料理書も手がける作家でもあります。地元で有機栽培される旬の食材を使い、全米にカリフォルニア料理のムーブメントを起こしたことで知られています。持続可能な農業に取り組む地元の生産者と深いつながりをつくりながら教育と食を結びつける活動を続けています。マーティン・ルーサー・キング・Jr.中学校でのエディブル・スクールヤード・プロジェクトの創設者の一人であり、その後もエディブル・スクールヤード・プロジェクトの第一人者として、食を教育の中心に据えるための活動を支援しています。
(参考文献:「食育菜園 エディブル・スクールヤード マーティン・ルーサー・キングJr.中学校の挑戦」センター・フォー・エコリテラシー著、ペブル・スタジオ訳 家の光協会出版)
食育菜園の取り組みを学んでいたこの時期には他にも刺激的な体験の機会がいくつもありました。『daylight kitchen』の契約オーガニック農家さんでの勉強会で軽井沢まで行ったり、さらには後に3歳になった娘と半年間毎月ロマンスカーで小田原でのパーマカルチャー菜園(※1)『Yes!Garden』での体験学習に通ったり。私がその後学校菜園プロジェクトを立ち上げるきっかけと目指す方向性とイメージは、着々とできつつありました。
今思い返してもその数年間に体験させてもらった数々のインプットは初めてだらけでとにかく新鮮で、色鮮やかに、濃く深く記憶に刻まれています。
そして気づけば美しい「食」の世界へ、さらには「より良く生きる」ための全てにつながるだろうと信じているエディブル・スクールヤード(食育菜園)の世界へとどっぷり浸かっていたのです。
余談ですが、数年ぶりにこの春からまた不思議なご縁がありサイコさん主催の津久井にある畑サロンで環境にも優しいリジェネラティブ・オーガニック農業(不耕起栽培)について毎月学ばせていただいています。これについてはまた詳しくお話しできればと思います。
その後、日本でアリス・ウォータースさんのエディブル・スクールヤードを導入した東京都多摩市の公立小学校にも出会い、何度か菜園を見学したり、学校の学習成果発表会を見させてもらったりする機会がありました。学習成果発表会は子供たちがテーマに沿って自分たちで調べてインプットし、実験の動画を撮ったものを模造紙発表と並行してタブレットからモニターに映し出しながらマイクで説明するというアウトプットを1人の子が立派にしていて、その姿を見てとても感動しました。
そして、その頃から徐々に根拠はないものの、でもなぜか確かな感触を感じて、この渋谷区でオリジナルの学校菜園「つながる菜園」をつくりたい、ここでならつくれる!!と強く思うようになったのです。それが今から6年ほど前のことでした。
※1
パーマネント(永続性)、農業(アグリカルチャー)、 文化(カルチャー)を組み合わせた言葉。永続可能な循環型の農業をもとに、人と自然がともに豊かになるような関係性を築いていくためのデザイン手法。1970年代にオーストラリアのビル・モリソン、デイヴィッド・ホルムグレンが提唱を始め、世界に広がっている。自然と人間が共存できる社会システムを創造していくこと。つまりは持続可能な暮らし方。
*********
「つながる菜園」プロジェクトリーダー・佐々木さんによる「つながる菜園」のあゆみ。
第1回は原点ともいうべき思い出をのぞくことができました。
ここからどのように現在のプロジェクトにつながっていくのか!?
次回もお楽しみに。